ロシア指導体制  危機克服と相対的安定

『週刊 新社会』 2009年8月18日号より


 99年末、エリツィン大統領(当時)が健康上の理由から引退、大統領代行にプーチン氏が指名され、00年3月の選挙で過半数以上を獲得して大統領に就任、04年選挙でも70%以上の支持率で再選された。

 08年からは首相として内政に関わり、今年8月の世論調査でも73%の支持率を得ている。99年当時1880億ドルだったGDPは07年には6倍以上、1兆1850億ドル超に成長した。

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 プーチン政権はソ連邦解体以後の混乱した社会で新興財閥を規制、軍・警察力を強化した。「安定化基金」の設立と原油価格高騰にも恵まれ、05年にIMFの債務を完済、06年にはパリクラブの債務も完済した。

 市場経済を認めながらも、天然資源の国家管理と政治の中央集権化を進めている。05年に「上海協力機構」に加盟し、中央アジア諸国・中国との協力関係を強化、07年の「ミュンヘン安保会議」で米一極支配を批判し、ポーランド・チェコの対米MDシステム配備体制対抗策をとった。

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 「モスクワ劇場占拠事件」「ベスラン学校占拠事件」 「グルジアの軍事化」など、政権成立とともにテロ事件、地域紛争拡大の危険性に見舞われた。

 昨年8月、グルジアが「92年休戦協定」を破り、南オセチアに軍事侵攻、「和平提案」調印から1周年を迎えて、メドベージェフ大統領は8日、「アブハジア共和国」と 「南オセチア共和国」の独立を再確認した。また同平和協定調印でアルメニア・アゼルバイジャン間の紛争が回避された。

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 ロシア連邦共産党によれば、4月に爆破されたサンクトペテルブルグ市のフィンランド駅前広場のレーニン像再建に市民が献金、オーロラ号保存に協力しているという。(冨山)