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2012. 08.14
敗戦の日から67年
本当の「反省」を広げたい



 「敗戦の日」から67年の歳月がたった。戦争の悲惨と暗黒の政治を二度と繰り返すまいという誓いは、67年たって今その真価を試されている。「誓い」は堅持されているのだろうか。アジアの民衆は、日本をどう見ているのだろうか。8月15日を迎え、考えてみたい。


 平和憲法は、侵略戦争の反省から生まれたというが、日本人はすぐには反省しなかった。戦争責任の追及よりも、「一億総懺悔(ざんげ)」が大勢だった。
 諸悪の根源だった天皇も「人間天皇」として行脚し、民衆は日の丸を振って「歓迎」した。敗戦後しばらく、祝祭日はほとんどの家で日の丸を出したと記憶する。日の丸が街に見えなくなったのは、教育現場を始めとする民主主義の諸運動が浸透してからだった。
 原水禁運動が広がるのも、第五福竜丸事件からで、ヒロシマ・ナガサキから10年ほどたってからだ。


 「反省」の根づき


 さすがに戦争だけはもう御免だという気持は、敗戦直後は強かった。しかしそれが「9条」と結びついたとは言えない。憲法制定の国会で、当時の共産党が「非武装」を自衛権の否定と反対したのは、そういう空気の反映だ。「非武装・中立」が真剣に追求され始めるのも朝鮮戦争と再軍備に直面してからだ。
 こうして日の丸と原爆と戦争については、戦後多くの先輩が権力と闘うことによって、「反省」が根付かされてきたといってよい。

 だが、反省の遅れた方面もある。「平和」の陰で沖縄に全てを押し付けてしまった。遅まきながら反省したが、今なお沖縄の苦しみは軽減されていない。アジア民衆への謝罪と補償も同様で、中国や朝鮮民衆からの告発でやっと取り組んだが、それもなっていない。


 いよいよ核武装?


 さて、今はどうだ。自民党の新憲法草案は「天皇元首」を掲げ、日の丸・君が代に抗議するだけで教員が処分される。原子力基本法に「安全保障」が挿入され、アジアの民衆は「いよいよ核武装か」と受け止める。
 野田政権と自民党がともに唱える「集団的自衛権」行使論は、9条を壊死させかねない。日本の軍事的ターゲットは再び中国に定め、矮小なプチ・ヒトラーたちが排外主義を煽る。権力は、反省の一番不十分な方面から巻き返しを図っている。
 ハーケンクロイツやヒトラーの著作を法律で禁止し、今もナチの戦争犯罪人を草の根を分けても摘発している世界からしたら、日本人の歴史意識は「猿の反省」のように底が浅いと思われるだろう。


 猿以下の政治から


 しかし希望もある。福島を繰り返すなという声は空前の勢いで広がっている。時がたつほど放射能被害の深刻さが膨れ上がり、この先も何が起こるか分からないという原発事故の恐ろしさは、簡単には風化しない。もう一つの希望は沖縄の怒りだ。もう懐柔も札束も効かなくなっている。

 原発にせよ沖縄にせよ、民衆が政治を動かすという、久しく忘れられていた実感は、消えかけていた戦後民主主義に新たな息吹を吹き込むだろう。戦後史が一周した今、戦争の惨禍すら忘れるほどの「猿以下」の政治を克服し、「人間の反省」を広げていきたい。


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