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2014.08.12
 69回目の「8・15」
 ニワトリや猿から脱却へ



 猛暑になると1945年の「8月15日」が頭に浮かぶ。私たちの多くは体験していないのに、空襲の焼け野原と未曾有の精神的虚脱感が想起されるからだろう。あれから69年。人々は二度と同じ轍は踏むまいと誓ってきたのだが。


 敗戦から69年たった今、当時のツケが難題として姿を現している。有効な反ファシズム統一戦線が形成されなかった日本では、戦争を民衆の力で終わらせることができなかった。だから「民主化」と戦争責任の追及は米国を主体とする占領軍に委ねざるを得なかった。


 蓄積された不信感


 平和憲法が「押しつけられた」と言うのではない。世界大戦とファシズムを反省する全世界の人々の良心が、国際的に日本国憲法に集約されたのである。「押しつけ」などと言うのは、歴史に対する冒涜である。
 けれども、平和憲法の代償として米占領軍が日本の支配体制を再建するため、天皇をはじめ戦争責任=国内だけでなくアジア・太平洋諸国への侵略の責任=の徹底を抑止したことを忘れてはならない。ドイツがナチスの戦争責任追及を徹底して諸外国の信頼を回復したのとは対照的である。
 そして講和条約は「片面講和」で、その上、アジア諸国などの日本への賠償請求権を不問にした。アジア諸国民が黙認したのは、冷戦下で米国の強力に依存せざるをえなかったからであって、日本への不信感は蓄積されていったのである。
 民衆自身の主体的な解放運動の欠如は、もう一つの深刻なツケを残した。沖縄の切捨てを許してきたことである。米占領軍が憲法9条を認めた代償は、当初から沖縄の占領継続と軍事基地化だった。講和条約と日米安保条約の締結はその確定だった。以降、この構造はなんら改善されていない。


 安倍の暴走を阻め


 そして、今はどうだろう。「集団的自衛権行使」に踏み出そうとしたとたん、積年のアジア民衆の日本不信が噴出しているではないか。安倍首相が「米艦船防衛」の目玉とした朝鮮半島の「日本人救出」構想は韓国の肘鉄をくらった。
 ソウルで、ロッテホテルは自衛隊の記念式典に会場貸与を拒否した。戦後補償の拒絶や「従軍慰安婦」問題、靖国参拝などで傷ついた韓国の人々は、日の丸を掲げた軍隊など見たくもないのだ。
 中国の「海洋進出」も、何をするかわからない日本への「抑止力」だろう。一部メディアが中国・韓国を「反日」と指弾するのは、ニワトリのように一歩歩くとすべて忘れ、戦後69年間を何一つ反省しない日本の恥部だ。
 今年の「8.15」を迎え、アジア諸国民と沖縄県民の69年間の怨念こめた告発を受け止め、猿より反省のない日本人の象徴である安倍某の暴走を阻まなくてはならない。いいかげん日本はニワトリや猿のレベルから脱却しないといけない。

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