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2012.05.29
ツアーバス事故の責任は国に 

 規制緩和が過当競争に拍車 価格競争で運転士は日雇い 



 起こるべく起きた事故
 2007年2月の大阪吹田のスキーバス事故は、過労による運転士の死亡、乗客に多数の重軽傷が出た。
 そして、先月4月29日午前4時40分ごろ、群馬県藤岡市の関越自動車道藤岡ジャンクション付近で大事故が起きた。バス会社「陸援隊」が経営する夜行高速バスが防音壁に衝突、大破した。乗客45人のうち男女7人が死亡、女性3人が重体となり、35人が重軽傷を負い、バス運転手も重傷を負った。高速道路での単独事故死者数としては過去最大になった。


 バスは28日夜、JR金沢駅を出発。東京ディズニーリゾートに29日朝到着予定だった。運転士は「居眠りをしていた」と説明している。


 道路運送法に基づく国土交通省の規定によると、1人の運転手が1日に運転できる距離は670キロ、連続9時間までだが、事故を起こしたバス会社と同じ高速バスで金沢と東京の間を運行するバス会社は、400キロ以上の距離を走行する場合は必ず2人体制で運行している。事故のバスも規定以内だったが、1人で540キロだった。


 事故を起こしたバスの運賃は金沢〜東京間で約3500円、同じ区間を走る路線バスの半額近い料金だったが、バス会社は旅行会社から2社を経た孫請けで運転士は日雇いだった。激しい価格競争の結果、安全性が棚上げにされてきた。


 世の中にはバスだけでなく、格安料金を掲げて話題になっているLCC(ローコストキャリア・新規格安航空会社)など、いろいろ出てきている。資本主義的競争は、安全と格安を両立させることはできない。こういう事故がいろいろな分野で起こる可能性は明日にもある。



 生活路線を高速バスに
 1960年代に夜行高速バスが誕生した。列車を補うものとして旧国鉄などが走らせ、当時は高速道路も名神や中央、東名の一部区間が開通しているだけで、運行に使われる車両も観光バスと同型のものだった。夏休みや年末の繁忙期に、「帰省バス」として大都市から地方都市への長距離バスが走るようにった。1980年代になり、国鉄の値上げなどにより、高速バスの料金面での利点が目立ち始め路線も増え始めた。


 1986年になると、大阪?福岡に、各席が独立した「1人掛け独立3列シート」、車内にトイレや自動車電話などを持つ新型車両が導入された。画期的だったのは、従来の大都市間ではなく、品川?弘前という大都市と地方都市を結ぶ初の夜行高速バスが現れ、その後の高速バス路線開設ブームの先駆けとなった。


 とくに地方の中小バス会社は、過疎化で生活路線の赤字を、夜行高速バスで挽回できるビジネスチャンスとばかりに、大都市の大手バス会社と相互運行を飛躍的に進めた。


 1990年代後半になると、全国の高速バス路線網が完成したことで、「開設ラッシュ」も終わり、バブル不況とも相まって、利用の少ない路線が廃止され、JRの夜行列車も運賃面での利用者減が目立ち、ブルートレインを始め全国各地から、次々に夜行列車が消えていった。



 バス5台で新会社設立
 ツアーバスは、2000年以降の規制緩和(5台で会社設立認可)をきっかけに新規参入が相次いだ。ツアーバスを運行する貸し切りバスの事業者数は、2000年末の2864社から10年間で4492社に増えた。関越自動車道で事故を起こしたバスのように、旅行会社が旅程を決め、貸し切りバス会社に運行を委託する仕組みも始まった。


 都市間ツアーバスとは、高速バスよりも安い料金を武器に、夕方から夜にかけて出発し、高速バスと同様、高速道路を走行して翌日の早朝から午前中に目的地に着くもの。2005年あたりからは、夜行のみならず昼行便の都市間ツアーバスも増えて行くが、ツアーバスとは名ばかりで、往路または、復路のみの片道だけ利用ができる。高速バスとほとんど変わらずバス会社間の競争が激しくなった。


 高速バスも必要最小限の設備に絞り、料金の安さを追求したが、ツアーバスに料金面で勝てず、かつての夜行列車と同様に高速バスも撤退していく。東京?大阪間が3000円、空席があればギリギリの乗車で1000円のダンピングもある。チケットはネット購入、停留所も設けずコストを安くしている。


 そればかりではなく、ツアーバスは安全運行にしても高速バス(路線) とは大きく異なっている。@運行する路線の習熟運転をしない、A出先に常設の仮眠・休憩施設を備えない、B根拠のない法定670キロ(1日の走行距離)ギリギリまで運転をさせる、C法律違反の日雇いが常態化している、Dツアーバスは観光バスで路線バスではない、E路線バスの厳しい運行規定があてはまらない。


 そして、高速バスの利用者減少・高速道路の無料化社会実験が、収入の伸び悩みになり、不採算路線の減便・廃止、会社の統廃合、労働者の解雇などが行われた。運行を続ける路線は非正規社員に置きかえ、分社化した子会社に営業譲渡を経て、路線を確保している。


 このような状況から、生活路線の赤字補填を高速バスで補ってきた地方バス会社は、赤字生活路線からの全面撤退を表明した会社も出現している。


 現在、夜行バスは日本全国で100社以上が運行し、路線数は140以上あるが、数の上では夜行の旅はツアーバスが主役となり、高速ツアーバスの利用者数は2005年の21万人から2010年には、600万人と30倍も増加した。




 両立できぬ安全と格安
 2000年と2002年に道路運送法が改正され、バス事業の規制緩和が加速し、運賃の下落が急速に進んだ。運賃値下げを希望する旅行会社と、運賃を値下げしてでも稼働率を上げたいバス会社の思惑も相まって、結果的にダンピングが進行した。さらに運転士の過労運転も問題化し、燃料費高騰や運転士の不足は零細バス会社を苦しい経営に追いやった。


 停留所を持たず、収入が落ちれば直ぐにも撤退できるツアーバスは経営者に魅力だ。同業の経営者は「法律に何も違反していない」と答え、「私は日雇い」と開き直る。


 1人で670キロも運転させる悪法と規制緩和を押しつけてきた国の責任は重い。ツアーバス会社に労働組合は皆無、労働条件は、有期雇用の時間給、「いつでも雇用、いつでも解雇」が野放しにされている。安全投資、安全教育などされない背景で事故は起きた。
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