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2018.07.10
辛淑玉連載 たんこぶ正義とはなにか
3.この事件の問題点とは
連載第539回
 
 日大のアメフトの監督が選手に、相手方のクォーターバックを潰してきたらレギュラーのポジションを与えると示唆して違反行為をさせた事件は、厳しい批判を浴びた。

 「××をやったら褒美をやる」というのは、もはや教育ではない。一方、被害者の父親はメディアを駆使して日大を批判し、踊らされた選手をかばい、そして、謝罪会見をした加害選手に対して「今後の人生を応援したい」と語った。この父親は、大阪維新の会の市会議員である。

 彼はかつて、アプロハムケネットワーク(大阪の朝鮮学校支援グループの団体)と朝鮮学校の処遇について語り合う場で、「朝鮮学校で拉致問題に取り組むようになったら見に行ってやる」と言い放った(発言当時は大阪府議)。

 これも教育ではない。人間として失格の発言だ。日大アメフトの監督を批判したその口で、全く同じことを言っていたのだ。彼はそのことに矛盾を感じていない。

 ここに「日本式正義」がある。

 やったことの罪の重さに向き合うのではなく、自分たちのなかで利害の調整を行い、それができたら解決としてしまうのだ。

 だからこそ、部落差別の問題を「同和事業」という形にすり替え、戦時性暴力被害者に対しても、民間団体を看板にした「国民基金」などという発想が出てくるのだろう。

 最高責任者を免罪し、現場の実行犯に罪をかぶせ、同時に、その実行犯も実は被害者だったという物語にして、もう謝ったからいいじゃないか、いつまで謝罪、謝罪と言うんだ、とイラつく。そこからは、再発防止のためにどうするかがスコンと抜けてしまう。

 戦後の良心的な政治家と言われた人たちも、感情的には在日の被差別状況に共感しても、社会構造や政治を変えるまでには至らなかった。それは、そもそもこういう心根だからだ。

 「世間をお騒がせして申し訳ない」というお決まりのコメントは、決して罪は償わないという決意表明であり、自分が何をしたのか終生知りたくないという意志の現れでもある。残念ながら、日本に正義はない。


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