鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

悲劇の浮島丸 第35回

2020/12/15
 昨年12月、93歳で他界した長兄は、敗戦まぎわ、徴用されて青森県陸奥湾内の大湊港(現むつ市)の海軍で働いていた。戦後になって朝鮮人が大変だった、と彼が漏らした。

 戦時中、大湊から津軽海峡沿いに、下北半島の先端大間町に向けて、鉄道建設工事が進められていた。その工事を担わされていたのが、朝鮮人たちだった。

 大間原発の取材で対岸の北海道の山々を眺めながら、海岸線をクルマで通る時、道沿いに長く続く土手のコンクリート建造物に目を奪われるようになった。難工事を偲ばせるのだが、それが朝鮮人を使役した、鉄道工事の残骸だった。が、線路が敷かれるまでもなく、敗戦を迎えた。なんの成果もなく挫折した、無惨な廃墟である。

 ここで働かされていた朝鮮人労働者たちは、連合国勝利の報せを受け、8月22日、大湊港から船に乗って、釜山に向かった。強制労働のあとの解放である。船内では夢と希望にはち切れんばかりだった、と想像できる。浮島丸(4770トン)。日本海軍の運搬船だった。途中、京都府・舞鶴港で米軍の機雷に触れて沈没。3725人の乗客のうち、524人が死亡した。

 が、この数字に対してもっと多い、との異論があり、沈没の原因も機雷ではない、爆発だ、との説がある。最近、韓国で映画ができたようだがまだ観ていない。

 植民地朝鮮に対する犯罪行為の自省がないまま、朝鮮戦争の米軍特需によって、日本は「復興」した。そして意識的に無視し、憎悪の政策を繰り返している。それもまた犯罪的だ。

 高校無償化から朝鮮高校を除外し、幼稚園、保育園の無料化からも除外、今回は、コロナでの「学生支援緊急給付金」からさえ朝鮮大学校を除外した。

 11月30日、衆議院第一会議室での集会で、私は文科省留学生課長に対して、「差別していない、排除していない、と言いながら、差別し、排除しているではないか」と批判した。