鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

放流は許さない 第53回

2021/05/11
 4月中旬、菅内閣は福島第一原発の核汚染水を海洋放出する、と閣議決定した。この暴挙については前々回(デタラメ公害政権)に書いた。放出は2年後、と言うのが危険だ。

 政府と東電は、この2年の間に切り崩しをもっぱらとするからだ。その画策にたいする反撃の態勢をどうつくるか。それが問われている。

 「処理水の処分は福島の復興を成し遂げるためには避けて通れない」と菅首相がいう。「復興」の陰で、どんな犠牲者がでても避けて通らない、という傲慢さ。復興を「錦の御旗」にして攻めたてるつもりのようだ。が、復興の利益者よりも犠牲者の数の方が多くなれば、極端な圧政だ。

 東電は「関係者の理解なしには、いかな処分もおこなわない」と言明していた。1日140トン。すでに125万トンの核汚染水が、一千基のタンクに満タンだ。あと2年でお手上げ、だから放水、それは事故を発生させた東電の責任問題であって、内閣が勝手に閣議で決定してすませるものではない。

 核汚染水の廃棄は、発生者の重大責任だ。その真実は、水俣病やイタイイタイ病の被害者が切り拓いてきた歴史的教訓なのだ。

 「処理水」の「海洋投棄」というのもまた欺瞞語だ。実のところ処理しても取り除けないトリチウムなど、放射性物質が残存している汚染水である。それも遠洋などではない、原発敷地からパイプで流すだけの、沿岸放棄にすぎない。

 この国の大臣たちは、タンクを増設するよりは、海に流してしまうほうがはるかに安上がり、と計算している。おためごかしに、タンクを解体してできた空閑地に、廃炉工事を進めるための施設をつくる、とも弁明している。

 核燃料のデブリや使用済み核燃料、核汚染水を多核種除去設備(アルプス)で取り除いた、高濃度の汚染物の保管設備の計画もある。「風評被害に適切に対応する」とは、かねで解決する方針のことだ。

 溜まりすぎたから捨てる、との安易な方法は許せない。第二原発の敷地の利用もふくめて、絶対放流させない、保管設備を新設せよ、の運動が必要だ。