鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

問われる社会的連帯 第64回

2021/08/03
 7月中旬、大阪地裁は「関西生コン」(全日建連帯関西生コン支部)の武建一委員長にたいして、懲役3年(未決参入190日)、執行猶予5年の不当判決をだした。

 「関西生コン」への弾圧は、舞台が関西だけに、東京ではなじみがうすい。それでも、全国の労働法学者、労働弁護士や熊沢誠、佐高信、竹信三恵子さんなどとわたしも「支援する会」に参加しているのは、ストライキやコンプライアンス活動にたいして、業務妨害、脅迫、恐喝などの罪名で、執行部を300日から600日にもおよぶ、長期勾留したことへの危機感が強いからだ。

 3事件併合して懲役8年の求刑にたいして、判決は「恐喝」容疑は無罪、ほかも実刑なし、だった。実刑なしとはいえ、労働運動にたいして、懲役8年を求刑するなど、ストライキや団体交渉を、暴力行為と認めるのであれば、労働運動はもはや成立しない。

 いうまでもなく、労働運動は労働者の権利を拡大するものであって、財閥解体、女性の参政権、特高警察の解体、教育の民主化、言論・表現の自由とともに、戦後の民主化運動の重要な獲得物だった。

 戦後労働運動の中心を担ってきた国鉄労働運動が、国鉄の「分割・民営化」政策の強行によって、中曽根康弘元首相の狙い通り、日本社会党の分裂にまで波及したのは、痛恨の歴史といえる。

 関西生コンへの理不尽な攻撃はヘイトスピーチの共闘をえて、いま組織率16%まで落ち込み、可視化されなくなった労働運動最期の息の根を止めかねない。

 というのも、1989年に総評が解散し、連合に再編成されたすこしあとまで、街には争議状態を示す赤旗がたっていた。

 50年代後半、わたしは零細企業ではたらいて労組を結成、労組潰しの「偽装倒産」攻撃を受け、会社内に2カ月半籠城した経験がある。春闘は季語となっていて、暴力団が争議に殴り込むなど以外には、警察は争議に介入しなかった。

 労働運動を組織暴力として指導者を逮捕、投獄するのは、民主主義の圧殺であって、許せない。