鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

親子三代の反原発(下)  第242回

2025/05/28
  電源開発が下北半島に建設中の大間原発は、津軽海峡を隔てて北海道・函館山と向かいあっている。「本州最北端の碑」が建つ大間崎に計画され、長い反対闘争のあと、2008年に着工された。が、しかし、いまだ原子炉は設置できず、がらん堂の建屋だけが虚しく建っている。 

  この海峡で獲れた大間マグロは、東京市場の新年初荷で、億単位でセリ落される縁起物だが、原発の最後発、1基だけ建設の大間原発は「フルMOX原発」という、困難な役割を押しつけられて、立ち往生である。 

  前回、紹介したように、大間原発の建設予定地として、電源開発に買収された広大な空閑地の中に、フェンスに取り囲まれてなお、「あさこはうす」は健在である。太陽光と風車を電源とするログハウスを建て、気を吐いていたのが熊谷あさ子さんだった。 

  ここで農作業をしていたあさ子さんに、2代にわたって電源開発の社長が説得に来た。「1基だけつくらせてください」と1億円を提示した、という。「1基も2基も同じだべな」。「わい(われ)は海と畑があれば食っていける。海と畑がなくなると食っていけない」と追い返した。 

  その後を継いで抵抗し続けているのが、厚子さん、奈々さん親子である。5月、「さようなら原発運動」の有志で訪問した時、奈々さんは不在だったが、メッセージを母親に託していた。 

  「ここは海沿いの北限の場所柄だったり、慢性的な資金不足と圧倒的な人手不足もあって、ひどく寂さびれたように見えるかもしれません。確かにこれが実際の女ひとりの限界ではあります。 

  ただ、私が感じて欲しいのは表層に見える至らなさではなく、このあさこはうすを熊谷あさ子亡き後も、たった一人で守り続けてきた、熊谷厚子の志を信念を感じて欲しいのです。守っているのは土地だけではなくて、おばあちゃんが志半ばで遺した願いや信念も一緒に守っているのです。 

  私はきっと2人が守っているこの場所が、いつかこれからの社会活動の希望になる、と思っています。」