鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

いのちと人権の共闘  第243回

2025/06/04
  日本女医会。女性医師の70回定時総会後の講演会に呼ばれて、5月中旬、「冤罪と死刑」とのタイトルで話した。同会は1 9 0 2( 明治35)年創設、というからもう123年。日本最初の公許医師・荻野吟子さんや東京女医学院創立の吉岡弥生さんと公許第12号の前田園子さんとが創立した、というから、当時から先進的な団体だった。 

  講演会の後の懇親会で雑談した人たちの、冤罪と死刑に関心が強い感触を得て、遅ればせながら、医師はいのちといちばん深く関わっているのだから、死刑にはもっとも批判的なのだ、と理解した。冤罪についても、医師や看護師さんはいのちのギリギリのところで仕事をしているので、誤解されやすい存在なのだ、ということも理解できた。 

  年齢的にも病院にはよく行くようになったが、医師と個人的な話をしたことがなかった。医師の運動家では水俣病の原田正純さんと、三池炭鉱の炭塵爆発によるガス中毒事件の患者さんたちを通して、親しくして頂いたくらいだった。 

  病院での冤罪でいえば、2000年に仙台の「北陵クリニック」での「筋きんしかん弛緩剤投与」の疑いで殺人犯とされ、無期懲役囚とされている準看護師・守大助さん。看護師では2003年に滋賀県の湖東記念病院での人工呼吸器を外した、として懲役12年の刑を満期まで務めさせられた、西山美香さんがいる。 

  「日本女医会誌」の5月号で、その日の講演会に触れて、前田佳子会長が「巻頭言 冤罪を通して人権を考える」を執筆。「冤罪を晴らせずに生涯を終えた人たちがどれほどいるのかと、想像せずにいられません」「もう一つの問題は死刑制度の是非です。被害にあった家族は犯人に極刑を求めるでしょうが、それが冤罪であったとしたらどうでしょうか」。 

  医師は命を守る最前線である。いのちとおなじほど重大な人権については、弁護士が最前線だが、この日、知り合った女性医師からメールを頂いた。福島の放射線被害者、甲状腺がんの子どもたちを支援している方だった。いのちと人権。その共闘が拡大しつつある。