今週の新社会

琉球弧は要塞化
「あれから30年」沖縄は今 毛利 孝雄

2026/02/11
米兵による少女暴行事件に県民の怒りが爆発、復帰後最大の8万5千人が参加した県民総決起大会=1995年10月21日、沖縄県宜野湾市内(沖縄県のホームページから)




安保体制の中では平和にはならない

  
1995年の米兵による少女暴行事件から30年、沖縄は基地問題の解決どころか、琉球弧の島々は対中戦争の最前線にされた。平和に暮らしたいという人々の願いが踏みにじられた30年を、沖縄大学地域研究所特別研究員の毛利孝雄さんに寄稿してもらった。

        新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授・沖縄近現代史=故人)は、1995年の少女暴行事件以降の沖縄民衆運動の高揚を、「第3 の波」と位置づけた(第1の波は50年代の土地闘争、第2期は60年代の「復帰」闘争)。 

怒りが埋め尽くす 

        戦後沖縄の現実は、自らと関わりのない米国の世界戦略とそれに追随する日本政府によって拘束されてきた。そしてその一方には、巨大な日米の力に抗して、現状を変えようとする沖縄民衆運動が対峙してきた。 

       今日の辺野古新基地問題の起源は1995年に遡る。同年10月21日、宜野湾海浜公園は米兵による少女暴行事件に抗議する8万5千人の県民の怒りで埋め尽くされ、高校生たちは「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」と訴えた。 

       日米政府は普天間基地の5年~7年以内の返還を発表することになるが、以降の普天間・辺野古を巡る経緯は、周知の通りだ。辺野古新基地建設強行だけではなく、2015年安保法制以降は、先般の台湾有事をめぐる高市早苗首相発言を前提とした「南西諸島」への自衛隊基地建設と、敵基地攻撃能力を備えたミサイル網の集中的配備が進んでいる。 

       その中でも、高江ヘリパッドや辺野古ゲート前での連日の抗議活動、県民投票、翁長雄志・玉城デニー知事の選出等、平和・人権・環境の広範にわたる分野に根を張る運動を実現し、全国へも沖縄に連帯する運動と組織を拡げてきた。2026年は、2月の総選挙・9月の県知事選と「第3の波」の帰き趨す うを決する1年になるだろう。 

安保体制の中では 

        屋嘉宗彦法政大学名誉教授(同大沖縄文化研究所元所長)は、沖縄を巡るこの30年を概括した論文を次の言葉で締めくくる。 

    「(米軍基地の)全面移転でも平等負担でも、安保体制の中にいるのであれば、差別はなくなっても『平和な島』にはならない。安保が廃止された日本に帰属することと、日本から独立して日米安保の桎しっ梏こ くから逃れることは、沖縄の平和を実現するという目標に関しては等価であろう。文化的アイデンティティの追求と平和、人権、自律、自尊という目標に向かう闘いの力が深いところでどのようにかかわるかという問題は一層の考察を要する」(月刊『琉球』2025年11月号所収論文「この30年を振り返って考える」)と指摘している。