今週の新社会

請求棄却で原告は控訴へ
  「砂川事件」国賠訴訟 東京地裁判決

2024/01/31
 「砂川事件」国倍訴訟で東京地裁の不当判決を糾弾・批判する原告・弁護団=1月15日 、衆議院第二議員会館、川島進さん撮影

吉永満夫弁護士



    東京都砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地に立ち入ったとして学生らが逮捕、起訴された「砂川事件」(1957年) を巡り、最高裁判決前に最高裁長官が米側に評議の状況などを伝えたことで「公平な裁判を受ける権利が侵害された」として、元被告ら3人が国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(小池あゆみ裁判長)は1月15日、「具体的な評議内容、予想される判決内容まで伝えた事実は認められず、公平な裁判でないとは言えない」として請求を棄却した。 

    砂川事件で東京地裁(伊達秋雄裁判長)が被告全員を無罪とし、米軍を憲法9条2項の「戦力」と認め、違憲とした。「伊達判決」は1959年3月だった。検察側の跳躍上告で最高裁大法廷(裁判長=田中耕太郎長官)が逆転判決を出したのが同年12月。以来、元被告らは再審請求、国家賠償訴訟と闘いを継続してきた。 

    最高裁判決は、日米安保条約は高度の政治性を有するもので裁判所の司法審査権が及ばないとする「統治行為論」によって司法権の独立性を放棄。判決の1カ月後、新安保条約が調印された。 最高裁判決から50年後、伊達判決を巡って米政府の日本政府への働きかけや、田中長官がマッカーサー駐日米国大使と会った結果、同大使が「(下級審判決が)覆されるだろうと感じている印象を受けた」ことが米国の外交文書によって明らかになった。 

    そのため、元被告の土屋源太郎さん(89歳)ら3名が、19年3月に損害賠償等を求めて提訴した。原告・弁護団は判決後の報告集会と記者会見で判決を糾弾し、控訴の方針を明らかにした。

「台湾有事」と砂川事件
「伊達判決」の現代的意義

  
「砂川事件」国賠訴訟弁護団の吉永満夫弁護士に、砂川事件の今日的意義について寄稿いただいた。
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   1959年砂川事件で一審無罪判決(伊達判決)が言い渡されたが、その背景には、前年の58年に台湾海峡で発生した金門島砲撃事件(金門砲戦)があった。
   即ち、同年8月中国人民解放軍は台湾の国民党政府が支配する金門島に対し砲撃を開始し、国民党政府を支援する米国が直ちに日本の横須賀基地等から第7艦隊を台湾海峡に派遣したことから、日本が中華人民共和国と米国間の戦争に巻き込まれる危機が生じた。 

    そのため、無罪判決を言い渡した裁判官たちは、駐留米軍が日本国土の専守防衛のためだけではないことを肌で感じ取り、「わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞おそれは必ずしも絶無ではな(い)」と述べて、駐留米軍は違憲であると判断したのである。 

    近年、日本政府は防衛力増強の口実に台湾有事と称して台湾危機を煽っているが、専守防衛を超える駐留米軍こそ日本の平和と安全を脅かすものである。
(吉永満夫=砂川国賠訴訟代理人弁護士)